専門学生に

兄に借金

 

専門学校がいいと、母親に話すと

 

わかったと。

 

 

「お金は【一番上の兄】が出してくれるから大丈夫、行けるよ!!」と

 

 

 

無理なら働いて、自分のお金で大学卒業。

どこでもいい。簡単そうで単位とかないところ。

 

大学卒業の証明のみほしかった私は

 

卒業が簡単そうなところにしました。

 

 

兄がなんで、お金出してくれるんだろう。と思いながら、私のアソコをよく触ってたから償いかな。と考えていました。

 

が、

 

本当は貸しであって、借用証明書を書かされました。

 

説明は全く読んでません。

 

バイトに間に合わせるために、説明も何も聞かずに名前だけ書いたからです。

 

 

母親に失望したのはそこからです。

 

お金を借りるくらいなら、専門なんて行きませんでした。

 

働いて、もっとお金を貯めて

 

もっといい大学に入りたかったからです。

 

 

ですが、そこから、勉強する気も起きなくなりました。

 

 

奨学金も払わないと、給食費も払わないと

兄にも借金、返さないと…

 

 

ですが、

兄から連絡だけはきていません。

 

 

父親が亡くなったと知らせも届いてないそうです。

 

兄たちにいい思い出は全く無いので

 

苦しみながらしんでほしいです。

 

 

 

母親も誰にも見向きされず、1人で孤独死すればいいと思ってます。

 

 

 

本当に私の心は死んでるな〜とよく思います。

 

 

高校生のとき

部活見学

 

なんとも私は兄が上に3人もいるので

とても口が悪かったんです。

 

うざい、しね、がいじ、きえろ、グズ

 

 

この言葉は飽きるほどあびせられ。

 

 

母親からも名前の頭文字に【か】がつくので

よく、ばか〇〇と呼ばれてました。

 

 

例え、名前が【かな】→【ばかな】

ばかとつくように呼ぶ

 

 

 

そんなこんなで、部活見学のとき、

試合形式になった同じ学年の子を

邪魔だな。と思ったわけです。

 

動きも遅いし、どこに味方がいるか把握してないし、ポジションもあってない。

 

 

そして、顧問に「どうだった」と聞かれ

言おうと思ってやめたんです。

 

邪魔って普通は言っていい言葉かわからなかったので、

ですが、「言いたいことあるならいいな」

と言われたので

 

素直に「邪魔だなと」と答えてしまったら

言われた子が泣き出してしまい、

 

 

 

そこから先輩たちからいじめられるようになりました。

 

本当に言わなきゃよかった。

 

 

というか、顧問の先生も笑ってて、

言ってよかったんだ!と思って私も笑ってしまって本当に最悪でした。

 

あのときの自分は本当に精神年齢と見た目が違いすぎて、今の私なら信じられないことばかりしてます。

 

 

 

自分のこと(※汚い表現があります)

私は何も出来ない子でした。

 

 

 

水道や電気が止まってるから何も出来ない

 

ではなく、

 

洗濯もどうやればいいのかわからない。

 

ゴミもゴミ袋がないと、捨てられない。

 

料理も出来ない

 

掃除もできない。

 

 

 

私も母親とそんな大差はありませんでした。

 

 

洗濯できない制服や部活着

 

 

お風呂にも入れず、

 

 

 

 

汚物の私は、よくいじめられてました。

 

 

これでも、がんばって公園のお水で身体洗ったり、祖父母の家まで行き、お風呂に入らせてもらってました。

 

 

 

 

子供の私が思いつくことは、この程度で

 

びしょ濡れの自分で洗った体操服を干して

 

 

今日は汚れが凄くきれいに落ちた!

 

 

と、喜んでいました。

 

 

 

 

実際、着たときにザラザラしたり、

 

臭かったので意味はなかったと思います。

 

 

 

 

流れないトイレで、トイレをすると臭くなるので、スーパーやコンビニまで歩いてました。

 

 

家にいるのは辛いので、0時くらいまで

普通に出歩いてました。

 

 

砂浜で朝日は見えるかなーと

眺めてたら、後ろから太陽が現れて

こっちが東だったんだ!と

 

 

驚いたこともあります。

 

 

母親は彼氏の家だったり、仕事だったり

 

夜も朝も会わない時があったので

 

家にいないことはバレてなかったと思います。

 

 

お母さんと呼ぶ人②(※汚い表現があります)

引っ越した家では。

 

 

兄たちが家を出たあと、

 

賃貸、ペット禁止の家は

 

猫だらけになっていました。

 

 

私にお金をかけてくれないお母さんは

 

ご機嫌を取らないと殴られるので

 

 

口出しはできませんでした。

 

 

酔ってる時は要注意で

よく殴られたり、ヒステリックに叫んだり

 

リビングで放尿したり、

水道や電気が止められるのはよくあることで。

 

 

 

ねこのトイレや餌もそのままなので、

 

家の臭いはひどいものでした。

 

無駄に買ったものやゴミがそのままなので

 

足の踏み場もないゴミ屋敷でした。

 

お母さんと呼ぶ人

親が離婚をしました。

 

なんとも思いませんでした。

 

ただ、その人に

「お母さんについてくるんだよ」

「お母さんがいいっていうんだよ」

 

 

と、言われてたと思います。

 

 

祖母の家に、しばらくいたんですが

何故か引っ越しが決まり、隣町へ行くことになりました。

 

 

トモダチと呼んでた人たちに別れの挨拶をする時は涙が出ました。

 

 

 

あの家に戻らなくてもいい。でも、

 

これからは祖父母と一緒だと思っていたのに、

あの兄たちと母親と一緒なんて嫌だと思ったからです。

 

 

お母さんにお弁当を作ってもらった記憶はありません。

授業参観とか、いたっけ?って感じです。

 

区費は私が、祖父母からもらったお小遣いから出してました。

 

出せない時は、「すみません、来月お願いします」と、話してました。

 

 

お母さんも時々払ってたと思います。

 

12000円を請求した時

「そんな払ってるわけ無いでしょ」と言われ

未だ返してもらってません。

 

その後も私は知らないおばさんやおじさんに

お金を渡して謝罪して

 

 

給食費も成人してから、少しずつ返済しました。

 

 

パチンコに行くために、

「車で動かないでそのまま出てこないでよ」

 

と、車内で暇をしてた覚えも多々あります。

 

 

 

母の友人の結婚式に行くために

私に10万円の借金をさせて、「ありがとう」といい、そのお金で大盛りのラーメンを食べ、

自分の彼氏の分もお金を払う様子は忘れられません。

 

 

 

奨学金も残った分は自分の懐へ。

 

 

私は、どうしたら良かったんでしょうか。

 

私をトモダチという子たち

いつも一緒にいてくれるトモダチ

 

 

私には

 

親友といえる、1人の女の子がいました。

 

私の家とは逆方向でしたが

その子の家の方まで歩いて送っていったり

 

私の祖母の家を借りて遊んでいたり、

 

貸してと言われれば、全て渡す

 

そんな関係でした。

 

 

小さい頃のトモダチなんて、

こんなものな気はします。

 

 

 

でも、その頃の私は

どこか、不満があったんだと思います。

 

 

「今日はこっちから帰ろう」

 

自分の家の方に行こうとすると

 

その子は「えー、いつもこっちだから、」と、

 

手を引っ張られましたが、

 

 

私は「じゃあ、一緒に帰んない」

 

 

そう伝えた瞬間

 

手を捕まれ、腕に爪を食い込まされ

みみず腫れみたいな、なんか、血は出てたけど

痛みを感じないので

 

立ったまま、その子をじっと見つめてたら、

怒って帰っていきました。

 

 

 

 

 

こんなことで怒るんだって思ってたと思います。

 

 

私は

怒る感情を、うまく出せないので

 

 

 

 

子どもの頃(※卑猥な表現があります)

私には、4歳までの記憶がほとんどありません。

 

なぜでしょうか。

 

 

私の一番初めの記憶は、祖母のお店の鏡を見ているところから始まります。

 

私ってこんな顔だったっけ?

 

 

 

次の記憶は、父が幼稚園の閉じた門を叩いて蹴って怒鳴っている様子。

私は、幼稚園に通っていたようです。

 

「出てこいやクソが、なんで閉めてんだよ」

 

女性の先生に向かって、胸ぐらをつかみ怒鳴る父に泣くことしかできませんでした。

 

何故かその日は、腕を捕まれ無理やり車に乗せられ帰ってました。

 

車でそのまま父は何処かへ行き

私は家で一人。

飼っていた犬のみゆと遊んでました。

 

 

今思えば、こちらが遅刻をしている身なのに鍵がかかっててキレるのは頭おかしいと思います。

 

 

 

 

他には、兄たちのアソコを舐めさせられ、

マタを無理やり開かされ舐められる。

 

言う事を聞かないと殴られるので、

舐めることは一生懸命してました。

 

ですが、人間の本能でしょうか

 

自分の身体を触られるのはとても嫌でした。

 

 

入れられそうな時に、いつも蹴って逃げたり

腰を動かして逃げていたので、処女は守られています。

 

 

家は物で溢れかえっており、

掃除も行き届いておらず、布団は臭くて上を向いて寝たいのに

 

隣では親の喘ぎ声をあげながらしていたので

 

その臭い布団の匂いを嗅ぐしかありませんでした。